GW、大好きなやまなみハイウェイを、大好きなHiroのバイクの後ろ姿を見ながらドライブ
お父さん、お母さん、いとこも集まって、お母さんの手作りのおにぎり、としこまめ、きゅうりのつけもの、馬刺し・・・すきノートにかきたい「好き」がいっぱい。
世界のあちこちで、ひとつひとつのことばにあいを。
自分にご褒美をあげたいとき、たぶんいちばんのご褒美は、自分の気持ちを綴る時間を持つこと。ほんとうにこの1年、全力で駆け抜けて。振り返っても信じられないくらいがんばったよね。治療していることは言わずに、小学校で日本語指導拠点校として体制づくり、わからないことだらけの教員の世界で、ちいさなやっちゃった、を重ねながら、落ち込みながら・・・なんとか2年目に。特別なご褒美として、「すきノート」を始めようとto思います。すきだなと思ったことを、ノートに書き入れていこう。きっと、いいことを見つけることが上手になって、自分の大事もはっきりしてくるにちがいない!
すきなこと 1
ピアノの練習を始めたHiro
53歳のHiro いつか旅立つてなとかいのことを思って、奏の弾き語りができるようにとがんばっている
優しい努力ができるところがすき
退院して3週間、10月2日、退院後初めての経過を見てもらうために主治医の先生のところへ行くと・・・寝耳に水とはこのこと・・・(涙)取り出した癌組織の精密検査の結果、再発予防のための抗がん剤治療やホルモン治療が必要と告げられて。しばらくはその現実を受け入れられずに呆然としてしまったけれど、向き合うほかになく・・・11月9日~治療を開始することを決め、すべての職場で事情を話して仕事を休ませてもらえるようにお願いして。
今日、これを書いているのは、抗がん剤治療をスタートしてから70日目。4回の抗がん剤を終えて、やっと・・・状況を受け入れられるようになったというか、状況に慣れてきたというか。とにかく、抗がん剤の後の1週間は自分の体が自分のものでないように不自由で、日常のあらゆることがしんどくて、自分の外観がすっかり変わってしまったことも耐え難くて・・・覚悟していたものの、胸がない、髪がないというのは、なんというか、とても心もとなく、自分の尊厳のようなもの、自分の価値のようなものが、揺らぐような気がして・・・
でも、読んでいた小説『くもをさがす』を書いた西加奈子さんのことば「自分がどうあるかは、自分が決める」に、すごく勇気をもらった気がして。外観はすっかり変わってしまったからこそ、自分とはなんなのか、自分はどうありたいのか、を考えるようになった気がする。自分はどうありたいのか。今のこの治療の間に、見つめてなおしてみたいと思う。
今日で入院して2週間目、明後日退院だから、ちょうど15日間、半月も入院するなんて、初めての経験。
6月末に乳癌が見つかった日、ちょうど多文化に生きるこどものことば研究会が産声を上げた日で、これから、抗がん剤とか手術があるなら、どれくらい今やっていることができなくなるんだろうって、なんでなっちゃったんだろう、ラーメンとかお菓子が好きだからかなぁ・・・とか恨めしく思ったり、理由を考えてしまっていたけれど。
手術の後は、痛くて、起き上がることもできなくて、座り方を尋ねるくらいで、食欲もなかなか戻らなくて、お通じもなくて、洗顔も歯磨きもシャワーもできない・・・ごく普通のことがこんなに大変だということを体験して、退院して普通の日常が戻ってくるのがイメージできなくて不安な日が続いて
そんな入院生活が終わりに近づいて、抗がん剤や放射線治療せずに済んで、ステージ1で10年後の生存率ほぼ100%で、これからいろいろ復帰できそうで
お母さんがなんとか食い止めてくれたのかもしれない、大ピンチから救ってくれたのかなって、そんなことを感じながら。見えない力を信じる自分がいるんだな〜
「あいさんはいつもがんばっていてすごい」みたいな風に言われることが年々増えていってる気がする〜(自慢しているつもりではなくて自己分析中^^;)
自分でも、コントロールできない大事にしていることみたいなものがあって、誰かが幸せになることのお手伝いがうまくいくと幸せを感じるところがあって。入院や手術の日程を決めるときに、私が仕事やイベントのことを優先しているのを見て、hiroはあきれて怒ってくれたね(笑)
もちろん、自分のこと、自分の健康を最優先しなきゃと思う気持ちもあるけれど、私が選ぶ優先順位は、もしかしたら直接自分のことじゃないかもだけど、自分の幸せに繋がるからたぶん自分の幸せ(hiroにはそれが理解できないって笑)
50歳になって、いろいろな仕事が舞い込むようになってきて、まず来るのはうれしい気持ち。そして、プレッシャー、それからしんどい気持ち。私は、新しいものが寄ってくる星の下に生まれたと思っているから(定休日に当たる星の下でもある/笑)いろいろなことの初めてに立ち合わせてもらうことが多いと感じていて。市の日本語指導員も初代、県の日本語指導アドバイザーも初代、多文化に生きるこどもネットワーク大分の多言語スピーチ会も、多文化に生きるこどものことば研究会も、そのコンセプトでの活動は県内で他になくて。
hiroが「フリーランスの日本語教師だね」って言ってくれて、これまでは非常勤であることをそこから脱さないと一人前じゃないって思ってきたけれど、一つに絞りきれない自分がいて。フリーランスと言われて、そっか、私は個人事業主やってるのね、と思うと少し前向きに感じられて嬉しかった。
おおげさかもしれないけれど、大きな目標は、社会の価値観、あり方が変容すること(ダイバーシティが広がるだけでなくて、インクルージョンな社会になること)で、目標があるから、エネルギーを向ける先がわかってきて、多少しんどいことがあっても、目標に近づくためのプロセスだと思えば納得できるしんどさだなぁって。そのためにやるべきことが決まれば、あとはあえて行動するのみ。
あと、なんだかんだ好奇心が強いのかなって。新しい世界を経験できることや、知らなかったことを知って知識が増えて視野が広がること、今までできなかったことが少しずつでもできるようになるとこにも幸せを感じるなって。
これからも、時々ちゃんと、自分をリフレクションして、必要なところを修正しながら、生きていこう。