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生まれて初めて人形劇を見た。
写真を載せます。
美しいものをつくりあげている人たちの美しさ。
感動しました。
フィリピンにいる2年という限られた時間だからと刻むようにしっかりと生きようとしている自分
人生という与えられた時間にも必ず終わりはくるというのにね。
フィリピンの人たちがどんなときに「イエス」というか?
・知らないとき
・困ったとき
・会話を終わらせたいとき
・半分理解したとき
・自分でよくわからなかったとき
・相手より自分のようがよく知ってると思ったとき
『Understanding the Filipino』より
現在フィリピン滞在4ヶ月目。かなり、なるほどです。
お見舞いに行った。思ったより、元気そうでよかった。お気に入りのDVDをもっていった。「これ、見たかったんです。」その一言で、すごく嬉しくなった。感謝されると嬉しくなるこの感情は、おなかがすくとか、ねむいとか、そういうのと同じように、DNAレベルに組み込まれてるんだろうか?だとしたら、そういう気持ちになれないと生きていけないんだ、きっと。
今日はhiroと5年目の結婚記念日。どうしてわたしと結婚したのと聞いたら、わからないのかぁって感じで、笑ってた。結婚しているからといって、同じ場所に暮らすわけでも、干渉しあうわけでもない。だけど、目には見えないいろんなものを共有してる。遠くにいてもリンクできる。hiroが居なかったら、わたしも居ない。きっと、philippinesにも居ない。これからも、どうぞよろしく。
ここPhilippinesの人たちは、"hindi siya marunong pakikisama" 「協調することを知らない」と言われるのがすごく嫌なのだそうだ。 "pakikisama"は「歩幅をあわせる」「誰も軽蔑しない」こと。 "makisama" 「助ける」とか、"makialam" 「干渉する」とは重ならないものらしい。だから、今は"pakikisama"。粛々とpakikisamaに暮らしていきたい。はじまり、はじまり。