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満月がとてもきれい。フィリピンの月は下から満ちてゆく。夜が明ければEaster Sundayがやってくる。満月はまるで、闇をまるく切り抜いた天窓みたい。その天窓からは白い光が差し込んで、地上をやわらかに照らしてる。
月は、29,5日で8つのステージをこなすらしい。新月、三日月、上弦の月、豊穣の月、満月、種まき月、下弦の月、鎮静の月。人は知らず知らず月や自然のサイクルに同調していると思う。そういう、自分ではどうにもできない力がこの瞬間につながっているんじゃないかなって。やわらかい月の光を浴びて復活したイエス・キリスト。いろんなことが起きても、わたしも何度でも復活できたらいいな。
明日は友だちの誕生日。みんなで遊園地に行くんだ。今日は、プレゼントを探してたくさん歩いた。「映画にいっしょに行くよ」券なんてものも作ってみた。自分に余裕があると、人にも優しくなれる気がする。
生まれてはじめての一人暮らしをして1年4ヶ月。わたしはひとりが嫌いなんだと思っていた。いつでも誰かのそばで暮してきたし、それが居心地の良いものだったから。一人暮しを始めてみると、それは思い込みだったのかもしれないとふと思う。別に、ひとりでいるのは嫌いじゃない。わたしは、すぐに新しい環境に適応できしてしまうらしい。ココポのように自然に囲まれた21人家族とのにぎやかな暮らしでも、マニラのように都会でのひとりぼっちの暮らしでも、そんなことはどちらでもかまわないらしい。だれかと暮しても、ひとりで暮しても、どちらでもかまわないほど、柔軟な自分の心がさびしい。
自分にないもの、素直になる気持ち。子どものころから、ずっとそうだったのかもしれない。いつでもお母さんと一緒にいたかったけれど、いえなくて、そっとガマンしていたし、欲しいものがあっても、自分からおねだりするような子どもではなかった。わがままもいわない、聞き分けのよい子ども。母親や兄姉とけんからしいけんかをした記憶すらない。友だちにいいたいことがあってもいわずにしまいこんで、そんなことは表にも見せず平気で付き合っていける。大人になってからは、人を褒めるのが上手だね、といわれるようになった。いつもいいことばかりいうから、本当の気持ちがみえないといわれることもある。いつのまにかそういう生き方をし始めていたから、自分でもどうしようもない。せめて、好きな人の前でだけは素直でいたいのに、やっぱり素直になれない。少しでもよくみてほしくて、強がって、背伸びをしてばかり。いい子でいたいという幼い頃からの強い思いからいくつになっても逃れられない小さな自分。素直になりたい。今、素直にそう思う。
お人形、植物、コップ、ふとん、いろんなものをいつもふたつずつ買ってくるお母さん。 「ひとりじゃ、さびしいでしょう?」そういうお母さんは、いつもひとり。 待ってばかりのお母さん。 いつも、わたしがどこかへ行くときは、引き止めるわけでもなく、ただ、「いつ戻る?」とたずねる。 それが、何年帰ってこないかわからない海の外への出発であっても。 お父さんのときも、そう。いつだって待っていた。 いちばんじゃなくてもいいって、お母さん。 ただ、想う人が好きなことをしてしあわせでいるなら、いつまでも待つことのできるお母さん。すこしだけ、似ているのかもしれない。
あい 口で言うのはかんたんだ愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになる こと
あい いつでもそばにいたいこと愛 いつまでも生きてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去を忘れないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること
『あい』 谷川俊太郎
「あい」はわたしにとって
優しくいるためのエネルギー
毎日をささえているもの
生まれてきた意味
そしてわたしがもらった名前。