Wednesday, October 23, 2013

ほぼ日経イトイ新聞

糸井重里といっても、わからない人が多いかも?個人的にはポカリのCMの頃から結構好きだけど。。トトロのさつきとメイのお父さんの声の人、というと、てなたちも知ってる!!って。現在も、多方面で言語化活動されていて、今回、社員研修として約60名の社員の方とAPUに来られたそうです。ちょうどhiroは、異文化理解というAPUらしい講座を担当していることもあって、糸井氏ご一行は授業に参加?されたそうです。詳しくは、http://www.1101.com/home.html

糸井氏のエッセイ、たった2日の滞在なのに、別府とAPUの関係をとてもうまく言い当てていて、心に染み入りました。以下、ほぼイトイ日経新聞より。

別府にある「アジア太平洋大学」の見学に来ていて、
 夜は、地元の「学校応援団」みたいな方々と合流して、
 昭和の匂いのぷんぷんする路地裏を案内してもらった。
 学校が、未来を象徴する若木だとしたら、
 観光温泉町としての別府の街は、
 枝ぶり奇っ怪とも言える古木のようだ。
 どちらも、それだけでは立ち続けていることは
 困難だったろうと思うのだ。
 APU(アジア太平洋大学)は、一見すると、
 山の上の原野に立ち上がった若木なのだけれど、
 よくよく見ると、別府という、長い時間と雨風に
 耐え抜いてきた古木に、接木されたものだ。

 まったく肌合いも立ち姿もちがって見える古木と若木は、
 実は、つながっていたように思える。
 未来に伸びていく希望の根は、過去の観光町に生えている。
 どうも、ぼくにはそんなふうに見えるのだ。

 温泉町としての歴史の養分は、
 不思議で猥雑な部分も目立つかもしれないが、
 それは、「たいがいのものなら受け容れる」という
 大らかな優しさなのではなかったろうか。
 別府温泉にとって、APUは珍しい姿の養子であり、
 APUにとってのこの温泉町は、太っ腹な養母だ。

 新しいことが始まるときには、まっさらな更地がいいとは、
 よく言われることなのだけれど、
 このごろ、ぼくは、
 それはちがうのではないかと思うようになった。
 四方八方なにもない原野で、誰にも邪魔されずという場所では、
 やっぱり、この学校だって育ちようがなかったと思うのだ。
 まったく連続性はなくても、
 しっかりと長い時間と付き合ってきた文化が土台にあって、
 そこに根が下ろせたからこそ、成長できたのではないか。
 何事も根が重要であるということは、
 根を下ろす場所が必要だということなのだ。

 人間の赤ん坊がひとりで生きられないように、
 母でも、養母でも、他人でもいい、
 吸い付く乳がないわけにはいかないのだ。

今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございました。
山の上ばかりでなく、「下界」もセットで見学してよかった。