Sunday, December 21, 2003

ツリーハウス


最近、ケビエンに行ったhiroから届いた写真。

なんか子どもの頃に物語の中で見たハックルベリーの家みたい。へぇ、本当にこんな家があるんだ。

なんで、こういうのを見るとドキドキするんだろう。

Sunday, December 07, 2003

見落としていたもの

時計を見ると、針は11時をすっかり過ぎている。「今から帰る」と電話をしようかとも思ったけれど、電話のベルでわざわざ起こしてしまうく らいなら、急いで帰ったほうがいいと、帰り道を急ぐことにした。熊本も、12月の夜ともなれば、ぶるぶるぶるっとくる寒さ。マフラーしてくればよかったなと思いながらペダルを踏む。好きな歌をうたっていると、2〜3曲の道のり。まっすぐな道なので、遠くから玄関の明かりが見える。そしていつものように 門は半開きにしてあるかなと思い始めるとあと家まで50mくらい。門が近づいてくる。あれ、誰か門のそばに立ってる。うわ、すごい顔をしてこっちをにらみ つけてる。寒空の下、一体どれくらいの時間、そんな顔をして、そこにいたんだろう。いい加減、携帯買ったほうがいいかなと思う。

地球上にいる60億の人たち。私の帰りの遅さを本気で怒ることのできるほんの一握りの人。見落としていたかもしれない、こんなすごい幸せ。

Sunday, November 02, 2003

『世界の中心で、愛を叫ぶ』

誕生日に、大好きな友だちがこの本をくれた。柴咲コウではないけれど、「泣きながら一気に」読んだ。確実にいつの日か会えなくなる大切な人たち。今のままの自 分でいられる時間と場所はずっと目の前にあるわけじゃないんだよと、言われた気がした。でもそんな「当たり前」を越えて、ちゃんとふたりは 世界の中心に辿り着いた。

この本を読んで、「愛」の意味を自分なりに調べてみた。

「たくさんの人たち、モノたちに優しくするためのエネルギー」
「生まれてきた意味」
「毎日を支えているもの」

そして「愛」は、わたしがもらった名前。

これからはもう少し丁寧に暮らそうと思った。


Saturday, August 23, 2003

トーライ族の男

村にはいろいろな通過儀礼がある。これはトーライ族の男として受ける通過儀礼の最終段階。数年に一度しかない大切な儀式。男の背を叩くトゥブアンの後ろにあるのが彼らのタラユウ(聖地)。儀式のあいだ男たちは1週間分の夜をここタラユウで過ごさなくてはいけないという。

hiroもトーライ族の男になった。
tohiroになった。





Friday, April 25, 2003

帰宅

霧が深くて、なかなか着陸できない。私を乗せた飛行機は、熊本の上空をぐるぐると旋回した。50分遅れの到着。お兄ちゃんが背伸びをしてきょろきょろと私の姿を探しているのが見えた。1年ぶりの家族での夕食。お母さんのだご汁がじんわりしみわたる。私が大好きなものをよく知っているお母さんのご馳走。1 年ぶりの湯船。ホコリひとつなく掃除された私の部屋。お兄ちゃんたちが摘んできてくれた新鮮なたらの芽。懐かしいアルバムの写真。大事にしまっておいたお気に入りのジュエリー。

ひとつひとつの久しぶりに、ひとつひとつ感動する気持ちを味わう。そういう気持ちそのものが、私にとっては帰宅の醍醐味だということを、たぶん自分でよくわかっている。日常を取り戻していくスピードの予測がつくから、そういう気持ちを貴重に感じる。そしてあんまり喋らなくても、嬉しい気持ちを隠し切れないでいるお母さんの表情にも、ちゃんと気づいている。年を重ねるにつれ、素直に、心配掛けてごめんね、と言えるようにもなった。ゴールデンウィークには阿蘇へわらび摘みに行くことになった。久しぶりの帰宅は、私には帰る場所と迎えてくれる家族があるという幸せに気づかせてくれる瞬間。

Tuesday, April 22, 2003

さようならの朝


ココポとさようならした日の朝の一枚が届きました。

これがココポの家族+です。一年一緒に住んでいて、初めてこんな集合写真を撮ったかも。

海を超えた5000Km向こうで、今日もみんな元気に暮らしているそうです。

ただいま

夜空の上からみた東京は、キラキラ光っていた。ただいま、ニッポン。1年ぶり。

到着ロビーへの自動ドアをくぐると懐かしい友だちの笑った顔とおっきな紙に書かれた"おかえり″の文字が飛び込んできた。"あ!お花、車に忘れてきちゃった!″と慌てるかおりん。1年前は出発ロビーで日の丸のハチマキと水筒にガンバレのメッセージを書いてくれたみんな。まるでドラマみたいに、喜ばせたり、びっくりさせるのが大好きな友だちは、相変らず底抜けに明るくて、底抜けに優しい。

今一番食べたいもの食べに行こう!一緒に探してはいったとんこつラーメン屋さん、みんなで一列になってズルズル食べた。なにを話しても、可笑しくてしょうがなくて、いっぱい笑った。みんなだってそれぞれに話したいことは山ほどあるだろうに、とにかく話の真ん中に私を持っていってくれてるのがわかりすぎるくらいわかって、なんだかもう、いろいろいろいろ嬉しくて、感動しっぱなしだった。久しぶりの二車線に、渋滞に、もう窓を開けて隣の車の人に話しかけても恥ずかしくないもんね、と思えてくるような、ちょっと無敵な気分だった。東京タワーやお台場の光がとても明るく感じられた。夜中くたくたになるまで話をして、ひとりふたりうとうとし始めると、2/8の王子たちはいつのまにか美麗ちゃんのベットを占領し、私たちは川の字になって居間で寝た。きっと、いくつになっても、私たちのこの関係は変わらないと思った。ありがとう。ただいま。

お別れの時間

自分がこの世に存在しているんだということを感じさせてくれた最後の一週間。お別れ会をいくつしてもらっただろう。どこか新しい場所へ行く人と、一緒に座り、食事をし、話をし、最後に同じ時間を共有し、そして見送ってあげようという感情は日本人もパプアニューギニアの人も同じみたい。

1年前にはAllanとhiroが出迎えてくれた空港。たくさんの人とさよならした空港。今日は自分が見送られる番。ずっとこらえていたものが、最後の最後の瞬間、溢れてきた。ありがとうという短い言葉に、どれだけの気持ちを託すことができるのかわからないけれど、それ以外の言葉が浮かばない。

飛行機の扉が閉まり、機体が進行方向へ動き出すと、出発ロビーや、外のフェンス越しから、手を振ってくれる人たちの姿がはっきりと見えた。見送りに来て は、同じように飛び立とうとする友人へ手を振っていた私は、見えない飛行機の中を見ていた。ちゃんと中から見えていたんだなって、初めてわかった。離陸し て、空の上から、たった今まで暮らしていた町を見た。青い海と椰子やカカオの緑に包まれた美しい町と人たち。ぐるぐるとこの1年間を思い出していた。大変 なことや悲しいことだってなかったわけじゃない。でも全部ひっくるめて、ここへ来れてよかった。最後の一週間のピンと張っていた気持ちが溶けて、思い出か 夢かわからない気持ちでいつのまにか眠っていた。

Monday, April 21, 2003

散歩



朝からカンカンに晴れていて、最後の洗濯物もお昼前には乾きそう。メリブラウスに着替えて、ラップラップを腰に巻いて、椰子のバスケットにお花を入れて、散歩に出掛ける。3人のかわいらしいお供がくっついてきた。

途中で見つけたハイビスカスのお花とお供の女の子たち

最後の一日にすることは決めていた。そのためには、村の真ん中の道を歩いていくことになるから、間違いなく挨拶にもみくちゃにされる。それも知っていたから、
ちょうど村の人とのお別れの挨拶にもなっていいと思っていた。

イライラ教会 道すがら、明るい水色の看板のイライラ教会の前を通る。イライラとはその辺りの地名だけれどそれを見るたび、イライラする気持ちからはほど遠いこの町の人たちに、日本語の"イライラ″に相当する言葉はあるのかな、って思う。その日はあんまり日差しが強かったので、
途中2回休憩をした。同じ道のりがお供の子どもたちの小学校への道だから、休憩する木陰も決まっているらしい。あとどれくらい?、あの角を曲がったら、と同じような問答を何度か繰り返した。

1 時間後、ようやくおばあちゃんのところへ辿り着いた。真新しい虹色のシーツですぐにわかった。しばらく腰を下ろして、心の中でお話した。子どもたちにもこういう気持ちがわかるのか、さぁ、行こうかと私が声を掛けるまで、ただ静かに一緒にいてくれた。

私の住むこの町には、なんとも言えないゆっくりとした時間の流れがある。世界中みんな、同じだけの時間を持ってるはずなんだけど、ここの人たちはあんまりそれを切り刻んだりしなし、従ったりもしない。悠々と時間の上で暮らしている。時間があるっていうのは、いろんな余裕みたいなものを生み出してくれるのかもしれない。散歩ひとつでもらう、惜しみない優しさ、惜しみない挨拶。この気持ちを、この景色を、懐かしく想うんだろうな。


最後の夜

ココポで過ごす最後の夜。


甘いものとココナッツが大好きな家族に、甘い甘いココナッツカレーを作った。大人たちはなにやら昼間から台所で忙しい。子どもた ちは庭の方々で椰子の葉を編んだり、切ったり、花を飾ったり、手作りのビラスで家中を飾っている。

夕焼けの時間を過ぎると、家の前に用意されたテーブルの 上に、一皿一皿食べ物が集まってくる。水浴びを終えて、そろそろお腹を空かせた子どもたちもテーブルに集まってくる。家族で小さなlotuをして、感謝の 歌を歌う。
今日の食事にblessする。

真ん中に用意された白い椅子に座るように言われると、Mirriamがこっそり用意した椰子で編んだ冠を、私と hiroの頭に飾った。それを合図にカードや手作りのプレゼントを膝にのせてくれた。おいおい、俺はまだ居るよ、aiが日本に帰るんだよ、とhiroは言 う。いつもどってくるの、と子どもたちは私に聞いた。"sampelataim bihain(いつかね)"、と言うと、それだけで充分な答えみたいだった。"日本のお菓子を送るよ"というと、嬉しそうな顔をして"いくつ?"と聞いて いた。ちびすけ家族も今日はご馳走にありつけて嬉しそう。

ありがとう
ありがとう


ありがとうありがとう


空は満月で、明るくみんなの顔を照らしていた。最後の夜だったけど、特別ではな
く、とても自然な時間が流れていた。この家に来れて、この家族と暮らせて、本当によかった。